嫁姑戦争だ!別居だ!調停離婚だ〜!!!!

嫁いだ家は大姑、姑に舅、小姑までいる大家族!
家業の倒産・姑の新興宗教等と戦い調停離婚まで行った道筋をご紹介します。。。

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調停での元夫Hはさすが姑の息子!!と誉めたくなる様な切れ具合でした。

別れる事が決まり私は親とも話していた条件をHに話しました。

それはこれから家を出て暮らさなければならないので嫁入りする時に持ってきた家財道具を持って行きたい事と、 結婚してからこうなるまでの5年間程は殆ど私が生活費を出していたので、その間Hが貯金していたお金の一部を慰謝料として分けて欲しいと言う事です。

その金額は私が一年間ほど職が見つからなくても生きていけるだけの金額で私が1年働いて稼げるであろう年収位と言う事で300万円。貯金額の半分以下を提示しました。

するとHは貯金などもう無い。無いからお金など渡せない。だから荷物だけ持って行けと一歩も譲らない状態でした。親も交えてきちんと円満に6人で話をしようということになりましたが何故か呼び出されたのは私の両親だけでした。Hも出席しないようでした。

とりあえず両親が呼び出されたお店へ行くと席に着いた途端に姑は口汚く私を罵り始めたそうです。実際に酔って靴をそろえずにいた等の失態もありましたが・・・Hがどうしても飼いたいと言って買ってきた犬を「トイレを覚えないから」と言う理由でたった3日で返却した事は全て私の勝手な行動にHが振り回された事となっており、体によく新鮮で安いものを探して買い物をして全てのレシートを提出していたにも関わらず月に20万も生活費にかけていて家計の使い方が酷かった等とありもしない事を必死で私の両親に言い続けました。

途中で何度か舅が「そんな事は無い。あの子はちゃんとやっていた」とフォローする事もあったほどものすごい形相で話し続けたそうです。私の両親は一切反論をせずに全ての文句に対し頭を下げ、ただただ「離婚条件はすべての嫁入り道具の返却と300万円です」と言い続けたそうですが、その話は相手には全く聞こえないようでした。

また、その時Hが使っていた携帯はHの命令で数ヶ月前に私が買ったもので通話料も私が払い続けていました。その契約を自分で払うようにと両親は伝えてくれました。こうやって何から何まで私はHの為にお金を使っていたのです。そしてまだ呆然としている私はその事がいえずにいたのでした。

Hともその両親ともまともな話ができない様なので、きちんと話をしようと言う事で調停へ行く事を提案すると勝手にしろという返事だったので私は家庭裁判所へ調停を申し込みに行きました。

調停はやるなら自分で起こした方が得です。まず自分が通い易い家庭裁判所での調停に出来るし、最初のレポートのようなもので自分の言い分をきちんと先に聞いて貰えるので調停員さんが味方に付いてくれ易い様な気がします。費用は 戸籍謄本代と切手代と印紙代位で殆どかかりませんでした。→ 調停離婚の費用

調停は離婚が決定して無くてもする事が出来ます。第3者を交えてきちんと筋道立てて話す事が出来るのでそこで話し合いをして最終的にどうするかを決めるのは自分自身と配偶者です。

まずは近くの家庭裁判所へ行き申立書(無料)を貰ってきます。地域によってはFAX等での入手も出来るようなので確認して下さい。そしてもし夫婦関係の破綻を示す様な資料等があったら用意して置きます。

申立書にはまず離婚したいかしたくないかです。離婚をしたい場合は決意するまでに至った事情と経緯、 親権者、養育費、財産分与、慰謝料の希望金額を書いていきます。その資料を基に調停委員さんと話していくので細かい経緯等は心配要りません。また、詳細理由については別紙に細かく書いて「別紙の通り」等と書いても良いようです。金額はあくまで希望金額ですのでその後調停委員や相手方と話し合って金額を変えていけます。

理由についてはあんな事をされたこんな事をされたと沢山書いても決定的離婚理由になるような事でなければ沢山言う意味はありません。例えば不貞や悪意の家庭遺棄、3年以上の生死不明、強度の精神病等などは立派な離婚理由となり話し合いには有効です。

申立書を提出すると約一ヵ月後に双方の住所へ 調停期日呼出状が送付されます。その時は内容などは全く記載されないようなので何故申し立てられたかなどは相手には解りません。

最初の調停が始まる前に一時住んでいた富士五湖の別荘が抵当に入ったので要る荷物はすべて引き上げてくれという連絡が入りました。また仕事も決まり1人暮らしをする家も決まったので都内の同居していた家からも家財道具を引き上げる事となりました。

嫁入り道具であった家財道具は全て持っていって構わないという事だったのですが・・・荷物をとりに行くと・・・ひどい状況でした。冷蔵庫は中身を出したままの状態で何かのこぼれた汁などがついたままガレージに出され雨ざらしになっていました。また、母家に入る時に使わなくなり庭で鉢の台として使われていた泥だらけのレンジ台「コレもあなたのでしょ。持って行きなさいよ」と・・・

そしてHは荷物を引き取る当日は岐阜にいていませんでした。私が主に使っていたPCは布がかけられ「ココは触らせないように言われているの」と荷物をまとめる間中姑の監視付です。

データだけ欲しいといっても何の事やら「とにかくここは触らないように」と言うだけでアドレスやHPのデータも全て移す事は出来ませんでした。その姑のしてやったりという得意な顔・・・あまりの恐怖に幼馴染の友人を手伝いと称して連れて行き見守ってもらっていました。

そして丁度その頃・・・生理が2週間以上遅れていました。離婚の話をしたのは丁度1月前ほど・・・。その半月ほど前に彼の実家で2人で2泊ほどした時は「頑張って行こうね!」と手を取り合うような仲だったので身に覚えがありました。

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